パワハラとコミュニケーション

 「改正労働施策総合推進法」が施行され、令和2年6月から大企業で、令和4年4月には中小企業でもパワーハラスメントを防止するための取り組みが義務付けられました。

 本号では、一般社団法人アンガーマネジメント協会理事で、コミュニケーションの指導でも有名な戸田久実さんに、パワーハラスメントについて、「中高年管理職へのアドバイス」「役職定年後のコミュニケーション」を切り口にお話をいただきます。



 近年、管理職の方々、40代後半以上の方々から研修先でご相談をいただくことの中に、「パワーハラスメントにならないよう、どう部下を指導したらいいのか」「自分とは世代が違う、価値観が異なる若手と、どうコミュニケーションをとればいいのか」という内容が多くなってきました。
パワハラ防止法が施行されたこと、また時代の変化とともに価値観が多様化し、そのような声が多くなったと考えます。

 パワーハラスメントの要因の中には、パワーハラスメントへの理解不足、コミュニケーション不足もありますが、個々の価値観、世代による価値観の違いが受け入れられない、という要因もあります。ということで、今回は価値観に相違のある相手とのコミュニケーションをテーマにお伝えいたします。

 皆さまは「べき」という言葉を使うこと、頭に思い浮かべることはないでしょうか。
「会議では必ず発言すべき」「トラブルが発生したら、報告すべき」「歩きスマホはすべきではない」など、職場はもちろん、公共の場、家庭など、さまざまな場面の「べき」があることと思います。
「べき」は、自身の理想、願望、ゆずれない価値観を象徴する言葉です。

 その「〜あるべき」「〜するべき」が、そのとおりにならない、守ってもらえないときに怒りが生まれます。怒りを感じること、怒ること自体は悪いことではありません。
人間にとっては、嬉しい、悲しいなどの他の感情と同じく自然な感情であり、なくすことはできません。

 ただ、他の感情よりもエネルギーが強いので、「ついカッとなって…」という言葉もあるように、振り回されてしまうことがあります。
イラっとしたときについ、余計なことを言ってしまったり、相手をやり込めてしまったり、パワハラ問題にまで発展してしまう可能性もあるので、要注意です。
そのようなことにならないためにも、怒りの元になる「べき」の注意点について振り返ってみませんか。

 自身の大切な価値観に関わることですから、どのような「べき」をもっていてもかまいません。しかし、次の3点については知っておいてほしいものです。

(1)正解・不正解はない
 長年信じてきた「べき」もあるでしょうから、大切な「べき」だと思うことは問題ありません。
ただし、価値観が多様化している今、人それぞれの価値観、「べき」があり、違いがあるということを知っておく必要があります。
自身の「べき」がそのとおりにならなかったときに、次のような言葉を思い浮かべたり、使っていたら要注意です。

普通、こうするよね」
「このくらい常識だよ」
当然、〜するよね」
「これが当たり前!」
「わたしの言っていることが正しいんだ」など。

 自分の当たり前と相手にとっての当たり前、自分の常識と相手の常識とが違う可能性があります。人それぞれ価値観の違いはあるものです。
このように言われてしまうと、「頭ごなしにやり込められた」と感じる人もいるでしょう。

(2)人によって「程度」が違う
 同じような「べき」という考えをもっていたとしても、どの程度のことを望むのかは人によって違います。わたしたちは抽象的な言葉で「べき」を表現することがあります。

たとえば、
ちゃんと挨拶をすべき」
しっかり計画を立てるべき」
「メールは早めに返信すべき」
相手の立場に立って考え行動すべき」
このような表現です。

 「ちゃんと」「しっかり」というのはどの程度のことを意味しているのか、どのような行動をすればいいのか、「早めに」というのは具体的にいつまでのことなのか、人によって認識が違う可能性があります。
「ちゃんと確認してって言ったよね?」「はい、しました」「いや、ちゃんとしていない」というすれ違いが起こることも想像できるでしょう。

(3)時代、環境によって変化する
 時代の変化も激しく、その変化によって価値観、「べき」も変わります。同じく環境の変化でも変わるでしょう。
たとえば、働き方に関わる価値観も時代の流れによってかなり変化しました。
かつては「育休は女性がとるべき」「営業は足で稼ぐべき」「出世を望むべき」「上司が誘う飲み会には参加すべき」という「べき」を当たり前と捉える時代もありましたが、今では当たり前とはいえなくなってきました。

 さらに、世代が違えばこれまで生きてきた環境も違うため、「べき」が異なり、自身の「べき」が通用しないこともあります。
新入社員の中には固定電話を使ったことがない、誰かの電話を取り次いだことがない、という方々もいます。
1人1台の携帯電話をもつ時代に育った世代のため、他者の電話に出るべきではない、という感覚の人もいます。「新人でも電話の取り次ぎはできるべき」が通用しなくなり、また、「仕事は上司の背中を見て覚えるべき」もかなり前から通用しなくなってきました。

 以上のことから、どのような「べき」をもっていてもいいのですが、世代が違う、これまで築いてきたキャリアが違うとなると自身と相手の価値観、「べき」が違い、どの程度望むかも違う可能性があるということを心に留めつつコミュニケーションをとることが必要になってきました。

 自身の「べき」に固執して、「前は…」と以前のことを語りはじめてしまい、相手の考えに耳を傾けられず、ぎくしゃくしてしまった。
 ついイラっとして、「こうあるべきだ」を相手に押し付けてしまいパワハラ問題にまで発展してしまったというケースも耳にします。

「どちらが正しいのか」ということを突き詰めようとするのではなく、違いを知り、「べき」の違いをうめていく対話をするためのポイントは次のとおりです。

 自身の「べき」をわかってほしいときは、「今後〜してほしい」「こういうときは、〜してほしい」というように、リクエストとして伝えることをおすすめしています。
 もちろん、相手と共通認識になるよう具体的な表現で伝えることがポイントです。
さらには、相手の「べき」にも耳を傾ける姿勢も重要で、たとえ自身の「べき」と違う考えや意見を耳にしたとしても、いきなり否定したり遮ることなく、まず同意はできなくても理解を示すことから対話をはじめていたかを振り返りませんか。

 「でもね…」「いやいやこういうときは…」と否定せず、「〜と思っているんだね(という考えだね)」と受けとめたうえで、「どうしてそう思う?」と引き出して聴いてみたり、自身も、「わたしは、〜いうときは、〜してほしいと思っている。なぜかというと…」と、なぜそう考えているのかという理由とともに伝えるというやりとりです。
 「なぜ〜すべきなのか」「何のために〜してほしいのか」その理由や背景をお互いに共有しつつ、それぞれの「べき」の違いの溝をうめていく…というイメージです。

 「自分たちが若かりし頃に受けた指導の仕方、関わり方と大いに違う!」という声もあります。以前ご自身が受けた指導が間違っているということでもありませんし、否定することもありません。変化が激しい近年だからこそ、アップデートしませんか。

【筆者略歴】
戸田 久実(とだ・くみ)
アドット・コミュニケーション株式会社 代表取締役

一般社団法人日本アンガーマネジメント協会 理事
立教大学文学部卒業後、株式会社服部セイコー(現 セイコーホールディングス株式会社)にて営業、その後音楽業界企業にて社長秘書を経て2008年にアドット・コミュニケーション株式会社を設立。

研修講師として民間企業、官公庁の研修・講演の講師の仕事を歴任し、登壇数は4,000 回を超え、指導人数は20 万人に及ぶ。その実績による豊富な事例やアンガーマネジメント、アサーティブコミュニケーション、アドラー心理学をベースにしたコミュニケーションの指導には定評があり、新入社員から管理職まで幅広い対象に研修、講演を実施。多くの企業でわかりやすく、実践的な内容が好評を得ている。

近年は、講演・研修講師として全国で活躍する傍ら、大手新聞社主催のフォーラムへの登壇や、テレビ、ラジオ、雑誌などのメディアを通じてアンガーマネジメントやコミュニケーションの重要性を伝えるなど、活動の幅を広げている。

【著書】
『怒りの扱い方大全』(日本経済新聞出版社・2021年)、『アンガーマネジメント』(日経文庫・2020年)、『イラスト&図解 コミュニケーション大百科』(かんき出版・2019年)など多数。
中国、韓国、タイ、台湾でも翻訳出版され、累計25万部を超える。
戸田久美 著書


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